渡ちゃんの最後のライブに、フォークの原点を見た。

田川律(音楽評論家)


 高田渡が北海道東部で急逝したのが2005年4月。もともとこの十何年かは、体調が万全というのではなかった。それでも2000年に入るといつになく元気になったのも事実だ。そんな渡ちゃん(あえてこう呼びたい。もう長い間高田さんなんて呼んだことがないし)が東京で最後に歌ったのが、このドキュメントに残された。高円寺の小さな店「タイフーン」での2005年3月27日のことだ。

 もともとはこのライブを撮る、というより一本の長編ドキュメントのワンシーンのつもりだったのではないか。だから一台の手持ちカメラだけで撮った映像だ。しかし見ている側に違和感はない。むしろその気軽な距離感と親密な関係性がいかにも渡ちゃんらしい、という感じを受けるのは、ぼくだけでないはずだ。たしかに撮影者がひとりで、狭い空間で撮っているために、制約はいろいろある。歌っているあいだ中、いつも同じ角度からしか渡ちゃんの顔が見られないとか。

 それでもそんな制約を越えてカメラは渡ちゃんの歌の良さ、語りの素晴らしさをとてもとても生々しく伝えてくれる。多くの人が知っているように、ついこないだ、渡ちゃんの映画がひとつ作られている。「タカダワタル的」がそれだ。こちらもライブ映像がたくさん含まれている。しかもメンバーもカメラもいうなれば本格的だ。どだい比較することは無理だ。こちらは昔流行った言葉でいえば「お茶漬けの味」だ。いや渡ちゃんだからそれより「焼酎の味」といえばいいか。

 この夜のライブも人伝えに聞けば、渡ちゃんはやっぱり酔っていたという。けれど、画面を見る限りその影響は感じられない。とてもテンションは高いし、集中力は見事だ。渡ちゃんより少し前にこちらも急逝した旧友、坂庭省悟のギターを自在に操りながら、しかもいつものように淡々と歌い進めていく。

 そして見事な話術。これまで彼のライブをたくさん聞いてきたが、ここまで話術が巧みだったのか、と改めて感心するばかりだ。話の内容もそうだが、それを語る間、が凄いのひとこと。まさに「とくと味わいあれ」といいたくなる。ギターを井の頭公園で練習していた、という話は聞いたことはあるが、喋りをどっかで練習してたなんて聞いたことがない。なら天性なのか。

 渡ちゃんたちフォーク・シンガーと呼ばれる人たちが出現するまで、ポップスはホールで鑑賞される音楽だった。それが喫茶店や街頭でまで気楽に楽しめるようになった。しかし年月が進むに連れ、ポップスはふたたび大掛かりなシステムの中でホールに閉じこもるようになってきた。演じる者はスターと呼ばれ、客席から遠いステージでスポットライトで目を暗まされ、姿の見えない観客に歌う。

 そんな中でギター一本を背負って、どこへでもひょいと出かけて行く渡ちゃんの姿に、フォークの原点を見る思いがする。このドキュメントには等身大の歌と、それを歌う人の魅力がたっぷり溢れているのだ。