高田渡は米国のフォークシンガー、ウディ・ガスリーやピート・シガーに憧れた。高田渡たちの世代、団塊の世代には日本に先達がいなかったから(高田渡はのちに明治時代の先達、演歌師・添田唖蝉坊に学ぶことになるが)。ぼくらの世代(ぼくは1958年生まれ。団塊の世代より10歳年下)は高田渡たちに憧れた。ぼくらの中高時代、世はフォークブーム。誰もがギターを抱え、自分のメッセージを歌おうとした。時代や社会が抱える矛盾、青春や恋愛が宿す葛藤を表現しようとした。それがフォークソングだと思った。その世界のまん中に高田渡がいた。
2005年3月27日、日曜日。ぼくのカメラの前に高田渡がいた。自分でギターケースを担ぎ、ライブ会場となる高円寺の小さな居酒屋へ向かって歩いていた。歌いはじめたころみたいに。ギター1本の単独ライブ。『仕事探し』からはじまり『夕暮れ』で終わった。「いつもは『生活の柄』でシメとするんですが、それも飽きちゃったからね」と観客を笑わせながら。そして、ライブが終わると高円寺パル商店街を右に曲がって消えていった(映画を編集しながら、その場面を何度もみるうちに「右に曲がって、そのまま三途の河まで歩いていってしまった」ような気持ちになって、何度も涙ぐんだ)。
2005年4月16日、水曜日。北海道で高田渡は「帰らぬひと」になった。あるひとは早過ぎる高田渡の死を「終わりのはじまり」と言った。ぼくは思う。ニッポンの敗戦によってもたらされた、戦前の不自由な時代の反省から生まれた自由な時代の「終わりのはじまり」なのかもしれない。フォークシンガー高田渡は自由な時代のまん中にいたのだ。人生最後の単独ライブににじみ出した、飄々と紡ぎつづけた「人生の柄」。ぼくは、たまたまそれを撮影しただけなのだ。
1958年生まれ。埼玉県出身。早稲田大学政経学部卒。1994年9月から2003年4月までミニシアター「BOX東中野」を経営。劇映画は『パイナップル・ツアーズ』(1992年/製作 ベルリン国際映画祭出品)、ドキュメンタリー映画は『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』(2010年/監督・編集 山形国際ドキュメンタリー映画祭クロージング上映)、『オロ』(2012年/製作・編集)、『三里塚に生きる』(2014年/製作・監督・編集 香港国際映画祭・上海国際映画祭など出品、山形国際ドキュメンタリー映画祭特別招待)、映像作品は『日本のアウトサイダーアート』(全10巻、紀伊國屋書店)がある。テレビ番組は『戦争へのまなざし〜映画監督・黒木和雄の世界〜』(2005年/NHK・ETV特集 ギャラクシー奨励賞)など多数を演出。編著書は『森達也の夜の映画学校』(現代書館)『ミニシアター巡礼』(大月書店)など。新作のドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』(2017年/製作・監督・編集)が公開待機中(チョンジュ国際映画祭正式招待、シアター・イメージフォーラムにて9月公開予定)。